日本古来のボードゲームといえば、将棋を思い浮かべる人は多いかと思いますが、その将棋が果たしてどのようにできたのかということを疑問に思った方は少なくないかと思います。
そんな将棋の歴史を辿ってみると少し面白いことが分かったりしますので、ここで一緒に見ていきましょう。
将棋の起源
実は将棋の起源というのは、はっきりとはしていないものの、日本発祥ではなくインドの「チャトランガ」というものが原型になっていると考えられています。お察しの良い方はお気付きかもしれませんが、これはチェスの起源と同じなのです。(詳しくは別ページのチェスでクイーンが一番強いはなぜというページで軽く触れているのでご参照ください)
このチャトランガというゲームは世界中に広まっていったとされており、各地でチェス、将棋、シャンチー、チャンギとその国それぞれのゲームへと進化していったと考えられています。そういった理由から、チェスと将棋が非常に似ているという具合になっています。
しかし、将棋とチェスの両方を知っている方は分かるかと思いますが、チェスでは将棋のように相手から取った駒を自分の駒として使うことができません。そういったことから、将棋は人によってはより複雑で難しいゲームであるとも言われているんです。
将棋の歴史
日本での将棋の歴史は、10世紀頃から始まったと考えられています。平安時代には既に将棋が存在していたといわれており、その証拠に『源氏物語』や『枕草子』などの古典文学にも将棋に関する記述が見られています。将棋は鎌倉時代(1185年 – 1333年)から室町時代(1336年 – 1573年)にかけて広まり、始まりは武士階級だけでしたが、徐々に一般の人々にも親しまれるようにもなっていきました。
室町時代から戦国時代(1467年 – 1590年)にかけて、将棋は一層、日本で発展していきました。戦国時代の武将たちは、将棋を戦術の研究や精神の鍛錬の一環として親しみ、次第に将棋の品格も高まっていきました。この時期には、今日の将棋の基本ルールが確立されており、寄せ手(詰み手筋)や戦術が研究されるようになりました。
江戸時代(1603年 – 1868年)になると、将棋は日本の文化の一部としてさらに成熟。江戸時代初期の棋士である本因坊算砂や、後期の棋士である伊藤宗看など、数多くの名棋士が存在しました。また、この時代には四間飛車、三間飛車といった戦法が開発され、将棋の戦術が多様化した時期でもあります。
近代に入り、明治時代(1868年 – 1912年)から昭和時代(1926年 – 1989年)にかけて、将棋は競技として発展しくことになります。特に、1924年の日本将棋連盟設立、そしてプロ棋士の制度が整備されたことは現代に深く繋がっています。また、第二次世界大戦後には、棋聖戦や名人戦などのタイトル戦が開催され、将棋の競技性が一層高った時期となりました。この時代には、升田幸三、大山康晴、加藤一二三などの名将棋士が登場、その卓越した技術や戦術で多くのファンを魅了しました。特に大山康晴は、名人位を24期、棋聖位を13期獲得するなど、日本将棋界の至宝と言われています。
現代では、将棋は日本の文化として深く根付き、幅広い世代に親しまれるようになりました。特にインターネットの普及で、オンラインで将棋を楽しむ人々も増えており、世界中の将棋ファンと交流できる環境が出来上がってきました。また、羽生善治、渡辺明、そして藤井聡太などの新世代の棋士が活躍し、将棋界も新たなステージへと進化してきています。
以上が将棋の大まかな歴史ですが、時代と共に進化し続けているのが分かりますね。今後も、日本文化の一部として、そして競技として将棋が発展していくことが大きく期待されます。