ナンプレ(ナンバープレース、Sudoku)は、現在の形での起源は1980年代のアメリカで、Howard Garnsというアメリカ人パズル作家によって考案されました。しかし、ナンプレの原型となるパズルは、古代ギリシャの数学者ディオファントスが考案した「ラテン方陣(Latin squares)」に遡ることができます。ラテン方陣は、各行および各列に同じ数字が一度だけ現れる正方形のグリッドで、18世紀のスイスの数学者レオンハルト・オイラーが研究を深めました。
Howard Garnsが作成したナンプレは、9×9のグリッドに3×3の小さな正方形のブロックが配置され、各行、各列、各ブロックに1から9までの数字が一度だけ現れるように数字を埋めるパズルです。1984年にはアメリカのパズル雑誌『デル・パズル&ワードゲーム』に掲載され、徐々に人気が高まりました。
日本生まれじゃないの?
ナンプレは、その名称が日本語由来であることから、日本で生まれたゲームだと思われがちですが、実際にはアメリカで生まれたゲームです。ただし、ナンプレの普及に日本が一役買っていることは確かです。
ナンプレは、1984年にアメリカのパズル雑誌『デル・パズル&ワードゲーム』で初めて登場しましたが、その後、日本のパズル出版社であるニコリ社がこのパズルに注目しました。ニコリ社は、ナンプレを「ナンバープレース」という名前で日本国内で普及させることに成功し、日本で人気を博しました。
また、ナンプレのもう1つの名前である数独(Sudoku)という名前は、日本語から来ており、この名前もニコリ社が作ったといわれています。日本語では「数独」は「数字が1つずつ」という意味であり、これは数独の基本的なルールである「各行、各列、各3×3のブロックに1から9までの数字が1回ずつ現れる」ことを表しています。
2000年代初頭にイギリスのニュージーランド人パズル愛好家ウェイン・グールドが日本で出版されていた「数独」に出会い、イギリスの新聞『ザ・タイムズ』で連載が始まり、世界的に広まりました。この際に、日本語由来の名前「Sudoku(数独)」が英語圏で用いられるようになり、現在ではこの名前で世界中で知られています。
こういったことから、アメリカで生まれたナンプレも日本での発展や命名もあり、世界に広がっていったということになっています。